1980年の10大ニュース

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1980年の10大ニュース

1980年(昭和55年)6月22日大平首相急死、衆参同日選挙で自民党圧勝

1980年(昭和55年)6月22日に行われた史上初の衆参同日選挙は、事前の予想を覆し、自民党が両院ともに圧勝し、保革伯仲時代に終わりを告げた。大平正芳首相は5月30日、遊説中に不快を訴えて東京・虎ノ門病院に緊急入院、「過労による狭心症」と発表された。容体は一時快復に向かったが、6月12日未明、心筋梗塞による急性心不全で死去した。70歳だった。自民党は“弔い合戦”として選挙戦に臨み、衆議院で284議席、参議院で69議席を獲得、解散時の議席数を大きく上回った。

富士見産婦人科病院事件

埼玉県所沢市の芙蓉会富士見産婦人科病院で、医師の資格を持たない理事長が超音波診断装置などを使って診療行為を行っていたことが発覚。9月11日、医師法違反の容疑で逮捕された。さらに、元患者らは「正常な子宮や卵巣を手術で摘出された」として、理事長と院長である妻を傷害罪で告訴した。理事長夫妻はそれぞれ医師法違反、保健婦助産婦看護婦法違反で起訴され有罪が確定したが、傷害罪については「手術が治療目的ではなかったという証拠が不十分」として不起訴となり、その実態は明らかにならなかった。また、当時の厚生大臣・斎藤邦吉厚相が理事長から政治献金を受け取っていた事実が判明し、辞任に追い込まれた。

1980年(昭和55年)10月21日巨人軍・長嶋監督辞任、王選手現役引退

読売ジャイアンツの長嶋茂雄監督は1980年(昭和55年)10月21日、61勝60敗9分、勝率.504で3位だったチームの不振に対し「男としてけじめをつけたい」と辞任した。続いて11月4日に主砲の王貞治選手が「王貞治のバッティングができなくなった」と現役引退を発表、22年間の現役生活に終止符を打った。現役最後のシーズンの成績は本塁打30本、打率.236だった。長嶋監督は退団、王選手は助監督に就任した。

川治温泉でホテル火災

11月20日の午後、栃木県塩谷郡・川治温泉郷の「川治プリンスホテル雅苑」から出火、地上4階建ての新館と2階建ての旧館が約4時間にわたり猛火に包まれた。宿泊客ら100余人の中で、慰安旅行に来ていた東京の老人クラブのお年寄りらが逃げ遅れ、巡業員らと合わせて45人が死亡した。国内のホテル・旅館火災史上、最大の惨事となった。同ホテルは1年前から防災上の不備が指摘されており、惨事は”人災”とも言われた。

1980年(昭和55年)4月25日大貫さん、現金1億円を拾う

1980年(昭和55年)4月25日の夕方、トラック運転手・大貫久男さん(当時42歳)が東京・銀座の昭和通りのガードレール支柱の上にふろしきにくるまれていた現金1億円を拾った。警察は専従捜査班を作り落とし主を捜したが見つからず、11月09日、大貫さんは1億円の小切手を受け取った。

鈴木新内閣発足

衆参同日選挙の最中に大平首相を失った自民党は、選挙後、同じ大平派の鈴木善幸氏を後継者に選出、1980年(昭和55年)7月17日に鈴木内閣が発足した。後継総裁レースには中曽根康弘氏や河本敏夫氏らが名乗りを上げた。また、暫定政権論、世代交代論などが渦巻き、一時は「党内抗争の再来」かとも見られた。しかし、前2氏のすくみ合いの中で鈴木氏が急浮上。盟友・田中派をはじめ、総裁候補を持たない福田派も鈴木氏支持に傾き、大勢が固まった。

静岡駅前地下街でガス爆発

1980年(昭和55年)8月16日の午前10時前、国鉄静岡駅前の地下商店街でガス漏れによる大爆発が起き、消防士を含む15人が死亡、233人が重軽傷を負う大惨事となった。爆風とともに炎と煙が地上にまで噴き上げ、沿道のビルや商店も炎上、通行人にガラスの雨が降り注ぎ、都市地下街の災害の恐ろしさを見せつけた。

モスクワ五輪に日本不参加

日本オリンピック委員会(JOC)は、1980年(昭和55年)5月24日、モスクワ五輪への不参加を29対13で採決、決定した。ソ連のアフガニスタン軍事介入に端を発したこのモスクワ五輪参加可否問題は、まずアメリカのカーター大統領が呼びかけ、西側諸国が同調、日本政府も不参加を正式に決定した。

1980年(昭和55年)8月19日新宿バス放火事件

1980年(昭和55年)8月19日の夜、東京・新宿西口バスターミナルで、発車直前の京王バスに37歳の男がガソリンをまいて放火した。乗客3人が死亡、20人が重軽傷を負い、そのうち3人が病院収容後に死亡した。男は丸山博文容疑者(無職)。殺人罪で起訴され、心身耗弱による減刑で無期懲役が確定した。

異常冷夏、農産物に痛手

日本列島は沖縄を除いて気象庁観測史上有数の冷夏となり、農作物に大きな被害をもたらした。特に米の被害が大きく、作況指数は87、確定収穫量は前年比220万7000トン減の975万1000トンで、1954年以来の不作だった。

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