1983年(昭和58年)10月14日、東北大学附属病院で日本初の体外受精児(試験管ベビー)が誕生した。新生児は帝王切開で生まれ、体重は2544グラム、身長44センチの女児であった。その日の新聞、テレビはこのニュースを一斉に伝えた。
1983年(昭和58年)3月14日、東北大学医学部産婦人科の鈴木雅洲(まさくに)教授は、日本初の体外受精に成功したと発表した。この発表以降、日本初の試験管ベビー誕生が注目されることとなったが、なかには否定的な声も少なくなかった。
しかし、試験管ベビーが無事に誕生したことにより、この出産は、文字通り明るいニュースとなった。試験管ベビーをめぐる重苦しい雰囲気を吹き飛ばした。
試験管ベビーの両親はマスコミに出ることを嫌い、静かに見守ってほしいとの手記を発表したが、毎日新聞だけは両親の住所や氏名、家庭の状況までを新聞に掲載した。毎日新聞は「実名報道を行ったのは、この明るいニュースに際し、今後生まれてくる試験管ベビーが特別な扱いを受けないようにするため」と弁明した。
しかし、周囲からは実名報道に批判と抗議が殺到した。またプライバシーを守れなかった東北大産婦人科にも批判の声が集中した。鈴木教授は家族の氏名が明らかになった以上、患者の容体を発表することは守秘義務違反に触れるとして、途中から患者の容体の発表を中止。さらに試験管ベビーの経過について予定していた学会での発表を取りやめた。
体外受精第1号の赤ちゃんは、2年後に急性肺炎で死亡した。
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