1984年(昭和59年)3月9日、10年にわたり争われてきた大阪国際空港訴訟第4次・5次訴訟について和解が成立した。大阪国際空港では、1964年(昭和39年)にジェット機が就航して以来周辺地域における騒音問題が深刻化し、1969年(昭和44年)から1974年(昭和49年)にかけて、航空路直下に居住する住民から空港を設置管理する国に対し、夜間飛行(夜9時から翌朝7時まで)の差止めと損害賠償を求める訴えが相次いで提起された。これらの訴訟のうち1969年(昭和44年)から1971年(昭和46年)にかけて提起された第1~3次訴訟については、1981年(昭和56年)12月に最高裁判所の大法廷判決が出され、夜間飛行の差止請求は却下されたが、1975年(昭和50年)5月までの間の損害賠償請求は認容された。こうした形で司法の最終判断が示されたことから、1974年(昭和49年)に提起された第4次訴訟及び1982年(昭和57年)に提起された第5次訴訟についても和解の気運が高まり、約1年間にわたる和解手続を経て1984年(昭和59年)3月9日に裁判上の和解が成立した。国は13億円の賠償金を支払うこととなった。
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