1985年の10大ニュース

1985年の10大ニュース

日航ジャンボ機墜落事故

1985年(昭和60年)8月12日、羽田発大阪行き日本航空123便(ボーイング747SR型-100型機)が群馬県多野郡上野村の山中に墜落した。乗客・乗員計520人が死亡し、4人が重傷を負った。夏休みで子どもや学生も多く乗っており、犠牲者の中には「上を向いて歩こう」で知られる歌手の坂本九さんもいた。単独機の事故としては、犠牲者の数はいまでも世界最悪となっている。当時は、多くの報道で「御巣鷹山に墜落」と伝えられていたが、実際に墜落した場所は、御巣鷹山から南南東約1.7キロの場所にある「高天原山に属する尾根」である。事故当初は無名の場所であったが、捜査上事故現場の名称が必要になったことから、群馬県警察の依頼を受け、当時の上野村村長であった黒沢丈夫によって、「御巣鷹の尾根」と命名されている。

徳島ラジオ商殺し、再審無罪判決

1953年(昭和28年)11月5日未明、当時50歳のラジオ商(現在でいう電器店)の店主男性が刃物で刺されて死亡した。当時の警察は、1954年(昭和29年)8月13日に、内縁の妻であった冨士茂子(ふじしげこ)を逮捕した。冨士茂子は無罪を主張したが、殺人罪で懲役13年の判決を受けて服役した。服役中も無罪を主張、再審請求を続けたが、第5次再審請求の途中、1979年(昭和54年)11月15日、富士は腎臓がんのため69歳で死去した。その後、冨士の遺志を親族が受け継ぎ、1980年(昭和55年)12月13日に徳島地裁が再審開始を決定。1985年(昭和60年)7月9日、徳島地裁は無罪判決を出した。この裁判は、死者に対して再審が開始される死後再審の最初の事例として、社会の注目を集めた。

豊田商事会長刺殺事件

豊田商事は、ペーパー商法による悪徳商法によって被害者数は2万人以上、被害総額は2,000億円の巨大詐欺事件を起こした会社として社会的に注目されていた。1985年(昭和60年)6月18日、大阪市北区にあった豊田商事会長・永野一男(当時32歳)の自宅マンションの玄関前には、「今日逮捕」との情報を聞きつけ、大勢のマスコミが集まっていた。同日16時30分すぎ、自称右翼の二人組の男が訪れ、「永野に会わせろ」と要求。男たちは通路に面した玄関横の窓のアルミサッシを蹴破り、窓ガラスを割って部屋へ侵入した。男たちは、大勢のマスコミの目の前で、永野の頭部など全身13か所を軍刀で刺した。その様子は生放送でお茶の間に流された。後日発売された写真週刊誌『FOCUS』には永野の死体写真が掲載された。部屋から出た犯人たちは、「おい警察呼べ。俺が犯人や」と報道陣に向かって叫び、マンションから出たところで大阪府警天満署員に殺人の現行犯で逮捕された。永野は、発生から約45分後の17時15分、出血多量で死亡した。

青函トンネル貫通

1985年(昭和60年)3月10日、青函トンネル本坑が貫通した。本坑着手以来14年、ここまでの作業員はのべ1200万人。53.85キロという世界最長のトンネル貫通に、現場は沸きに沸いたという。

新幹線上野駅開業

1985年(昭和60年)3月14日、東北新幹線の上野駅が開業した。

桜島南岳大噴火

1985年(昭和60年)は、年間474回の爆発を観測、爆発に伴う空振は福岡県飯塚市でも観測されたという。

1985年(昭和60年)4月1日公社民営化

1985年(昭和60年)4月1日、政府の通信自由化政策により日本電信電話公社が民営化され、日本電信電話(NTT)が発足。またこの日は、日本専売公社から業務を承継した日本たばこ産業株式会社(JT)が発足した日でもある。

1985年(昭和60年)3月17日—9月16日つくば万博開催

1985年(昭和60年)3月17日から同年9月16日までの184日間にわたって、茨城県の筑波研究学園都市にて、国際科学技術博覧会が開催された。テーマは「人間・居住・環境と科学技術」。総入場者数は、2033万4727人であった。この総入場者数は当時の特別博覧会史上最高入場者記録となった。

日本初のエイズ患者

1985年(昭和60年)3月22日、厚生省のエイズ調査検討委員会は、アメリカから一時帰国したアーティストの男性を国内における「エイズ患者第1号」と認定したことを発表した。

男女雇用機会均等法、成立

1985年(昭和60年)、勤労婦人福祉法の一部改正により、男女雇用機会均等法が「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子 労働者の福祉の増進に関する法律」として成立した。

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