自民党の竹下登幹事長が派閥「経世会(竹下派)」を発足。最大派閥田中派の大半が参加し政界の田中支配に終止符を打った。
竹下登は、1985年(昭和60年)2月7日に「創政会」を発足し、自民党を離党しながらも派閥領袖として影響力を持ち続ける田中角栄に反旗を翻した。田中角栄の入院などもあって、追い風が竹下勢力に吹き、地盤は徐々に固まっていった。1987年5月21日に開かれた政治資金パーティー「竹下登自民党幹事長激励の夕べ」が東京プリンスホテルで開かれ、史上空前の1万3千人が参集したという。この勢いを経て、政局は経世会結成へと大きく動いた。
竹下は、1987年(昭和62年)11月6日、第74代内閣総理大臣に就任した。1989年(平成元年)6月3日まで務めた。ふるさと創生1億円、消費税導入、昭和から平成への改元、リクルート事件による総辞職など、その時々で話題となった。
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