リクルート事件
戦後最大の汚職事件とも称されるリクルート事件。1988年(昭和63年)6月18日に、朝日新聞のスクープにより発覚した日本の贈収賄事件である。それを機に、リクルート社の創業者・江副浩正氏が、自社の政財界における地位を高めるために、1984年12月から翌1985年4月にかけて、政治家や官僚らにグループ企業であるリクルート・コスモス社の未公開株を譲渡していた次々と発覚した。1988年6月24日の産経新聞は森喜朗元文相に未公開株を譲渡、1億円余の売却益を得たと報じた。7月に入って、竹下登首相、中曽根康弘前首相、安倍晋太郎自民党幹事長、宮沢喜一蔵相、渡辺美智雄自民党政調会長などへの未公開株譲渡が判明した。江副浩正は、1989年2月13日、東京地検特捜部によって逮捕された。
日本人拉致問題、北朝鮮の関与
1988年(昭和63年)1月15日、前年(1987年)11月29日に「大韓航空機858便」を爆破して逮捕された北朝鮮の特殊工作員・金賢姫(キムヒョンヒ)(当時26歳)がソウルで記者会見を行った。その際に韓国の捜査員の発表に、日本は揺れ動いた。「金賢姫は日本人女性と寝食をともにし、日本人に偽装する教育を受けた——この女性は日本の海岸から北朝鮮に拉致されたようだ」。さらに翌16日には、日本人偽装教育をしたのが「李恩恵(リウネ)」と呼ばれる「離婚歴があり二児の母親」で「昭和54年頃に東京周辺の海岸から船で拉致された、北朝鮮で軟禁生活を送っていた」と発表された。この発表から約2週間後、国会で動きがあった。1988年(昭和63年)1月28日、衆議院本会議において民社党の塚本三郎委員長が、大韓航空機爆破事件、李恩恵、金賢姫等に言及し、過去の類する行方不明事件も含めて、北朝鮮による犯行ではないかと指摘した。さらに、1988年(昭和63年)3月26日、参議院予算委員会で日本共産党の橋本敦からの質問に対し、国家公安委員会委員長の梶山静六は北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であることの見方を示し、真相究明のために全力を尽くす考えであることを表明した。これは北朝鮮による日本人拉致事件の存在を政府が認めた初めての公式答弁である。
ドラゴンクエストIII発売
1988年2月10日、平日の水曜日にも関わらず、大勢の人々がゲームソフトを扱う家電量販店やゲームショップに長蛇の列を作った。前日の夜からの徹夜組も現れ、新聞やテレビのニュースにも取り上げられるほどの社会現象となった。ドラゴンクエストIIIの発売日である。第1作目「ドラゴンクエスト」は1986年5月27日の発売、販売本数は150万本。第2作目「ドラゴンクエストII」は1987年1月26日の発売、販売本数は240万本。当時のドラクエ人気は頂点に達し、ファミコンのカセット版では歴代3位380万本の売り上げを記録している。
六本木ディスコ照明落下事故
1987年(昭和62年)5月8日、東京・六本木に高級ディスコがオープンした。「TURIA(トゥーリア)」である。アレンジャーは空間プロデューサー山本コテツ。内装を手がけたのは映画「ブレードランナー」の美術コンセプトを担当したシド・ミード。近未来惑星に故障した宇宙船が不時着したというコンセプトで、宇宙船を模した照明が天井からつり下がる構造だった。その吊り下げられた照明が、1988年(昭和63年)1月5日、吹き抜けの2F天井から落下した。死亡者3名、負傷者14名を出す惨事となった。
9の字事件
1988年(昭和63年)2月21日、東京都世田谷区の中学校の校庭に、机と椅子計約450個を並べて組み合わされた「9」の字が描かれる事件が発生した。この事件は、動機も目的も全く分からず、その謎がマスコミで話題となった。4月入り事件の真相が明らかになり、犯人グループは警視庁成城警察署によって逮捕された。「9」の字の意味は色々な憶測を呼んだが、結局のところ犯行の目的は単なるいたずらであり、一種の劇場犯罪として記憶に残る事件となった。机「9」文字事件と呼ばれることもある。
JR東中野駅列車追突事故
1988年(昭和63年)12月5日午前9時30分頃に、JR東日本・東中野駅にて停車中列車に後続の列車が追突するという事故が発生した。後続電車の運転士1名と乗客1名の計2名が死亡、116名が重軽傷を負った。
昭和天皇の容体が急変
1988年(昭和63年)8月、天皇陛下のご病状が報道されるようになった。9月18日は予定されていた相撲観戦を中止。そして、1988年9月19日の夜、大量の吐血・下血があり、緊急輸血が行われた。この日から翌日にかけて、多くの国民が昭和の終わりが近いことを実感した。そして、日本中が「自粛」の2文字に縛られることとなった。
80s!