投稿者: cypher

  • 1980年10月15日

    1980年10月15日

    1980年(昭和55年)10月15日、歌手の山口百恵が引退。この日、所属していた芸能プロダクション・ホリプロの20周年記念式典が行われ、その席で「いい日旅立ち」を披露。その後、午後8時半過ぎに引退記者会見が開かれた。この会見はこの当日放送された『水曜スペシャル特番 山口百恵 今夜 旅立ち!』(テレビ朝日)で番組の終わりに一部生放送され、これが芸能人として事実上最後のテレビ生出演となった。引退時は21歳、7年半の芸能活動で、シングル31作を発表、累計の売上枚数は1,142万枚だった。

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  • 1981年10月14日

    1981年10月14日

    1981年(昭和56年)10月14日、フジテレビでアニメ「うる星やつら」が放映開始。放送時間は水曜日19:30 – 20:00。原作1巻から29巻までの内容がテレビアニメ化されている。1986年(昭和61年)3月19日まで、全195回が放送された。放映当初のチーフディレクターは当時スタジオぴえろの社員だった押井守が担当した。

    高橋留美子による原作のマンガは週刊少年サンデーにて1978年(昭和53年)39号から連載され、第26回(1980年度)小学館漫画賞少年少女部門を受賞している。連載は1987年(昭和62年)まで続き、単行本は全34巻が発行された。

    オープニング主題歌の「ラムのラブソング」もヒットし、その後、数多くのシンガーにカバーされた。劇場公開アニメは全6作が製作された。

    https://www.youtube.com/watch?v=d-0cmLCnyM8

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  • 1983年10月14日

    1983年10月14日

    1983年(昭和58年)10月14日、東北大学附属病院で日本初の体外受精児(試験管ベビー)が誕生した。新生児は帝王切開で生まれ、体重は2544グラム、身長44センチの女児であった。その日の新聞、テレビはこのニュースを一斉に伝えた。

    1983年(昭和58年)3月14日、東北大学医学部産婦人科の鈴木雅洲(まさくに)教授は、日本初の体外受精に成功したと発表した。この発表以降、日本初の試験管ベビー誕生が注目されることとなったが、なかには否定的な声も少なくなかった。

    しかし、試験管ベビーが無事に誕生したことにより、この出産は、文字通り明るいニュースとなった。試験管ベビーをめぐる重苦しい雰囲気を吹き飛ばした。

    試験管ベビーの両親はマスコミに出ることを嫌い、静かに見守ってほしいとの手記を発表したが、毎日新聞だけは両親の住所や氏名、家庭の状況までを新聞に掲載した。毎日新聞は「実名報道を行ったのは、この明るいニュースに際し、今後生まれてくる試験管ベビーが特別な扱いを受けないようにするため」と弁明した。

    しかし、周囲からは実名報道に批判と抗議が殺到した。またプライバシーを守れなかった東北大産婦人科にも批判の声が集中した。鈴木教授は家族の氏名が明らかになった以上、患者の容体を発表することは守秘義務違反に触れるとして、途中から患者の容体の発表を中止。さらに試験管ベビーの経過について予定していた学会での発表を取りやめた。

    体外受精第1号の赤ちゃんは、2年後に急性肺炎で死亡した。

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  • 1988年10月13日

    1988年10月13日

    1988年(昭和63年)10月13日、エジプト人作家ナギーブ・マフフーズが、アラビア語圏の作家として初のノーベル文学賞を受賞した。マフフーズは、当時76歳。

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  • 1983年10月12日

    1983年10月12日

    1983年(昭和58年)10月12日、東京地方裁判所で行われたロッキード事件の第一審判決公判にて、田中角栄元首相に懲役4年、追徴金5億円の有罪判決が下った。田中はこれに対して「判決は極めて遺憾。生ある限り国会議員として職務を遂行する」として控訴したが、1987年(昭和62年)7月29日に控訴棄却、上告審の最中の1993年(平成5年)12月16日の田中の死により公訴棄却(審理の打ち切り)となった。

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  • ドラフト会議2021

    ドラフト会議2021

    プロ野球のドラフト会議が2021年(令和3年)10月11日、17時から行われ、17時半過ぎには各球団の1位指名が決定、ニュースサイトなどで配信されていました。

    オリックス椋木 蓮(投手・東北福祉大)ヤクルト隅田 知一郎(投手・西日本工業大)
    ロッテ松川 虎生(捕手・市和歌山高)阪神小園 健太(投手・市和歌山高)
    楽天吉野 創士 (外野手・昌平高)巨人隅田 知一郎(投手・西日本工業大)
    ソフトバンク風間 球打(投手・明桜高)広島隅田 知一郎(投手・西日本工業大)
    西武隅田 知一郎(投手・西日本工業大)中日ブライト 健太(外野手・上武大)
    日本ハム達 孝太(投手・天理高)DeNA小園 健太(投手・市和歌山高)

    隅田 知一郎(投手・西日本工業大)は、4球団が競合、抽選にて西武が交渉権を獲得。巨人はドラフトのくじ引き11連敗となった。小園 健太(投手・市和歌山高)は、2球団が競合、抽選にてDeNAが交渉権を獲得しました。

    広島山下 輝(投手・法政大)巨人翁田 大勢(投手・関西国際大)
    阪神森木 大智(投手・高知高)ヤクルト山下 輝(投手・法政大)

    ここでも山下 輝(投手・法政大)が2球団から指名され、抽選でヤクルトが交渉権を獲得した。外れた広島は3度目の1位指名で黒原 拓未(投手・関西学院大)を指名した。

    さて。80年代のドラフトにも様々なドラマがありました。やはり思い浮かべるのは「空白の一日」。正確には1978年(昭和53年)の出来事ですが、日本中がこの話題で持ちきりでした。1985年(昭和60年)はKKコンビ・運命のドラフト。1989年(平成元年)のドラフトは史上最多の8球団が野茂英雄を指名。翌1990年(平成2年)の小池秀郎も8球団から1位指名された。小池は交渉権を獲得したロッテの入団を拒否して松下電器入りした。

    cypher

  • 麺匠 八雲 本店

    麺匠 八雲 本店

    結論から先に。ぼくはあまりおすすめしません。味噌ラーメン(メニューには「八雲の真骨頂」と書かれていた)を食しましたが、スープがぬるくて——店員さんに熱いのでお気を付けくださいと言われたけど——、味も、よく言えばマイルド、悪くいえば薄くてぼやけた感じ。麺は悪くないけどちょっと茹ですぎ。日清の冷凍食品「日清本麺 濃厚味噌ラーメン」を上手に作った方が美味しいかもしれないレベルでした。最近の冷凍食品や袋入りの生ラーメンもレベルが高いですからね。他に塩ラーメンと醤油ラーメンもあり、こちらは食してないのでなんとも言えませんが、味噌ラーメンは、ぼくには合わなかったということです。

    では、だらだらと書いていきます。

    「ラーメン評論家の入店お断りします」と宣言しニュースとなった話題のラーメン店「麺匠 八雲 本店」に、のこのこと行ってきました。「麺匠 八雲 本店」は元バイトAKBの元バイトAKBのメンバー梅澤愛優香が経営するラーメン店、京成本線・堀切菖蒲園駅より徒歩3分のところにあります。

    ぼくはニュースになるまでこのラーメン店を知らなかったのですが、「麺匠 八雲 本店」は2018年(平成30年)10月17日にオープンとのことで、もうすぐ3年が経過することになります。決してメジャーではありませんが、ラーメン激戦区とも言われる堀切菖蒲園エリアで3年間も営業を続けているということは、地域住民からも一定の評価を得ているということでしょう。

    食べログでの口コミは70件・星3.25、ラーメンデータベースではレビュー43件・平均点78.744点となっています。——2021年(令和3年)10月6日現在。

    検索していて、ラーメンデータベースの書き込みのレビューが2件ほど削除されていることに気が付きました。このレビューの削除は10月3日以降に行われたようです。運営が削除したのか、投稿者が削除したのかは不明です。この2件は内容が極端に辛辣で、ちょっと意図的なものを感じます。まぁ、オープン間もない2018年10月〜11月の、異常に点数の高いレビューにも、ぼくは違和感を覚えてしまうのですが。

    お昼の11時半くらいに店舗前に到着。歩道には数組の並びが見られました。30分ほど外で待ち、入店。券売機はありませんでした。1階はカウンター席が7〜8席、ぼくは2階のお座敷に案内されました。個人宅をそのまま改装したような構造で、狭い急な階段を登って2階へ。

    2階は6条が二間続いているくらいの広さでテーブルが離れて2組分。コロナ禍でなければあと一つ二つはテーブルが置けそうです。

    店員さんに口頭で注文を伝えます。パートナーは味噌バターラメーン、ぼくは味噌ニンニクバターラーメン+味付煮卵を注文。味噌ラーメンは「八雲の真骨頂」ですから。注文の仕方は、メニュー表にもあるように、味噌、塩、醤油のいずれかを選び、お好みでトッピングを追加するようなスタイル。

    15分ほどでどんぶりが運ばれてきました。「お熱いのでお気を付けください」とのこと。ん? それほどの熱々を感じないのだが。まずはスープを。ぬるい、薄い。これが第一印象。スープはもっと熱々なのが、ぼくの好み。続いて、麺。標準的な中太麺といったかんじ。ちぢれはなく、ストレートな麺です。やや柔らかめ。ここは好みが分かれるところかな。バターとニンニクを追加していますが、ニンニク感はあまりなく、バターはやや多めですが、好印象。この味噌スープに合うバターです。麺の量は標準的。メニューに大盛りはなく超大盛り150円とあり、どのくらいの「超」なのかは不明です。

    程なくして完食。んー、印象の薄いラーメンでした。

    並びや店内の来店客をじっくり観察するような真似はしなかったが、わざわざやって来たというよりは近所なのでたまに来ているといったかんじの人が目に付いた。やや年配の女性が一人で来ていたのはちょっと新鮮な驚きだった。

    総評として、話題になったからと言ってわざわざ食べに行くほどのラーメンでもないなと。エリア的に近い人は試しにどうぞというレベルかな。あくまでも個人の感想ですが。

    最後に、ラーメン界のレジェンド・佐野実の言葉を引用して、本稿を締めたいと思います。

    “まずくてもラーメンに罪はない。罪なのは店主の腕だから”

    https://rocketnews24.com/2019/12/11/1300685/

    cypher

  • 1986年10月11日

    1986年10月11日

    1986年(昭和61年)10月11日、米ソ首脳会談。アイスランドのレイキャビクでアメリカのロナルド・レーガン大統領とソ連のミハイル・ゴルバチョフ書記長が会談。12日まで会談が行わたが、この時は軍縮交渉は決裂した。しかし、この会談が歴史的には「冷戦の終わりの始まり」と認識されている。

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  • 1990年10月10日

    1990年10月10日

    1990年(平成2年)10月10日、プロ野球・野茂英雄投手が、この日行われた西武球場での対西武25回戦に先発し、12奪三振を記録。プロ野球新記録となる年間21度目の2桁奪三振を達成した。1989年のドラフト会議で史上最多の8球団から指名を受けた野茂英雄は抽選で近鉄に入団。翌年、1年目の1990年、野茂は圧倒的な力を見せつけた。18勝をマークし最多勝、防御率、勝率、奪三振、沢村賞、MVP、新人王、ベストナインのタイトルを獲得した。

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  • 1984年10月9日

    1984年10月9日

    1984年(昭和59年)10月9日、柔道選手の山下泰裕が国民栄誉賞を受賞した。国民栄誉賞の受賞は、山下で5人目。全日本選手権9連覇、ロサンゼルスオリンピックで金メダル。前人未到の203連勝(途中、引き分け7回)は、柔道における最多連勝記録、2019年にギネスによって認定されている。

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  • 1981年10月9日

    1981年10月9日

    1981年(昭和56年)10月9日、フジテレビで連続ドラマ「北の国から」(全24話)が放送開始。原作・脚本は倉本聰、主演は田中邦衛。最終話は1982年(昭和57年)3月26日に放送された。ドラマスペシャルとしてシリーズ化され、8編のドラマスペシャルが放映された。

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