投稿者: cypher

  • 1991年7月10日

    1991年7月10日

    1991年(平成2年)7月10日、ボリス・エリツィンがロシア共和国の初代大統領に就任した。

    80s!

  • 1985年7月9日

    1985年7月9日

    1985年(昭和60年)7月9日、徳島ラジオ商殺し事件で刑事事件初の死後再審により徳島地裁が無罪判決。

    徳島ラジオ商殺し事件とは、1953年(昭和28年)に徳島県徳島市で発生した強盗殺人事件のことである。被害者の内縁の妻だった冨士茂子が犯人とされ、逮捕された。裁判にて懲役13年の判決が確定し、服役した。富士は、服役中から再審請求を開始した。1966年(昭和41年)に仮出所し、市民団体の支援もあり、再審請求を続けた。富士は、第5次再審請求中の1979年11月15日、腎臓がんのため死去した。享年69歳だった。

    富士の死後も再審請求は継続され、1980年(昭和55年)12月13日に徳島地裁が再審開始を決定、その5年後の1985年(昭和60年)7月9日に徳島地裁は無罪判決を出した。

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  • セルビッジ レギュラーフィットジーンズ 1

    セルビッジ レギュラーフィットジーンズ 1

    毎シーズン話題となるのがユニクロの新作。なかでも、ユニクロとChristophe Lemaire(クリストフ・ルメール)のコラボライン「Uniqlo U(ユニクロ ユー)」の新作は、発売日当日に店舗によってはサイズ欠けや売り切れも見られるほどの人気を誇っています。ファッションに興味のある人は発売前の予告段階で写真を見ながらの予想レビューをYouTubeやブログで見ている人も多いことでしょう。発売日当日には「実際に全型買ってきました」とその最速を競うファッション系YouTuberと呼ばれる人たちの動きに、感動すら覚えます。

    さて、そんな「Uniqlo U」のラインナップでひときわ注目されたのが「セルビッジ レギュラーフィットジーンズ(Men)」です。

    ・アーティスティックディレクターのクリストフ・ルメールが率いるデザインチームが、世界中のファッションと新素材の情報が集まるパリのR&Dセンターとともに、上質なワードローブを追求するコレクション。
    ・伝統的な手法で作られたコットン100%、13.5オンスの超本格赤耳セルビッジデニムを使用。
    ・洗いをかけていないのではき込むほどに体になじみ、色落ちやヒゲなどの経年変化を楽しむことができる。
    ・脚が長く、きれいに見えるストレートシルエット。

    このモデルは、2020年9月発売の2020秋冬コレクションに続き、2021年1月発売の2021春夏コレクションでもラインナップされた定番になりつつあるジーンズのようです。2020秋冬の発売時は税抜 ¥3,990- でしたが、今では税込で ¥3,990- 、お値段そのままで消費税込みの価格に変更されました。

    人気の商品で全体的には品薄な傾向にあったと思うのですが、サイズによっては売れ残り、今回、最終的な値下げ価格税込 ¥1,290- で購入することができました。

    この「セルビッジ レギュラーフィットジーンズ(Men)」というのは、通常のジーンズと何が違うのか、少し調べてみました。

    まず、「セルビッジ」とは、素材を意味する言葉で、デニム生地の種類のひとつのようです。厳密には「セルビッジ」とは、デニム生地の両端にある白い部分のことを指すようですが、一般的には、旧式の力織機(シャトル織機)を使用して織られたデニム生地で作られたジーンズをセルビッジジーンズまたはセルビッジデニムと称しているようです。「伝統的な手法で作られたコットン100%」というのは、こういった意味合いで表記されていると思われます。力織機(シャトル織機)で織られたデニム生地は、生地の両端に白い部分ができ、そこに1本の赤い糸が通っていることから、ユニクロでは「超本格赤耳セルビッジデニム」と表記しているようです。さらに調べてみるとこの「赤耳」という言い方は、リーバイスが始まりだそうです。

    セルビッジデニムは、生産性が通常のデニム生地の約6分の1と言われています。そのため、一般的なジーンズメーカーが製品化した場合、その販売価格は最低でも1万円以上はするといわれており、その品質を担保しつつ、通常ラインと同じ価格で販売したことに、驚嘆・感嘆の声が挙がったというわけです。

    セルビッジデニム生地は比較的丈夫で長持ちです。故に経年変化——色落ちしていく過程を楽しむ、デニムを育てる、なんて言い方もされています。

    次に、「レギュラーフィット」について記しておきます。ほとんどの方はご存知かと思いますが、この「レギュラーフィット」とは、ジーンズのシルエット——太さのことを言います。レギュラーフィットという呼称からも標準的な太さなんだろうなぁと容易に想像できます。では、レギュラーフィットより細い場合や太い場合は、何と言うのでしょうか。ユニクロのラインナップから確認してみます。

    シルエットを表す用語として、ユニクロのサイトからは4つ見ることができます。細い順に、スキニーフィット、スリムフィット、レギュラーフィット、ワイドフィットの4つです。この4つのシルエットのサイズ表を見てみます。レギュラーフィットは、今回購入したセルビッジ レギュラーフィットジーンズ、サイズ表記「MEN 30」のサイズ表です。他のモデルも近いサイズをランダムにピックアップしました。モデルによってはサイズに差異があるかもしれません。ご了承ください。表は、上から細い順になっています。

    サイズ表記ヌード仕上がりヒップわたり幅股上裾幅股下
    スキニーMEN 3076809328.523.514.578.5
    スリムMEN 3076829529.525.517.584
    レギュラーMEN 30768299.531.526.51974
    ワイドMEN 307682105343021.575
    単位はcm

    スキニーは数字で見ても細いですね。ここ数年のトレンドは、まずユニクロの黒スキニーと言われていましたが、さすがに街に溢れすぎたのか、最近では各人各様に様々な太さのボトムスを楽しんでいるように見受けられます。

    ボトムスのシルエットを表す用語でもうひとつ「デーパード」という言葉を耳にすることがあります。一般的なボトムスは通常「ストレート」と呼ばれるシルエットです。極端に言えば上から下までまっすぐということです。それに対して「テーパード」とは、太もも部分はややゆとりがあって、裾に向かって細くなっていくシルエットのことを言います。下記はユニクロのものではありませんが、参考として某メーカーのレギュラーストレートとレギュラーテーパードのサイズ表を載せておきます。

    サイズ表記ヌード仕上がりヒップわたり幅股上裾幅股下
    テーパード30インチ7686102332717.582
    ストレート30インチ768710633.5282082
    某メーカーのサイズ表、単位はcm

    同一メーカーではないため、単純な比較はできませんが、Uniqlo Uのセルビッジ レギュラーフィットジーンズは、やや細め、少しテーパードなシルエットと言えます。

    ところで、ユニクロの公式サイトの商品概要には、まだまだ確認しておきたいことが3つあります。「13.5オンス」「洗いをかけていないので」「色落ちやヒゲ」。オンスは重さの単位「oz」、新品なのにわざわざ「洗いをかけていない」、「色落ち」はジーンズなので何となくわかるけど、「ヒゲ」を楽しむって何だろう——。次回はこの3つについて、いろいろと調べてみることにします。

    cypher

  • 1983年7月8日

    1983年7月8日

    1983年(昭和58年)7月8日、日本の刑事裁判において死刑を選択する際の量刑判断基準となる「永山基準」が明示された。

    この日、最高裁判所第一小法廷(大橋進裁判長)にて、連続射殺事件(1968年発生)の加害者である被告人・永山則夫(事件当時19歳少年)に対し、控訴審(東京高等裁判所)の無期懲役判決を破棄して審理を東京高裁へ差し戻す判決(第一次上告審判決・以下「本判決」)を言い渡した。その際に日本の最高裁判所が初めて詳細に死刑適用基準が明示された。

    永山則夫連続射殺事件(永山則夫事件・永山事件)とは、1968年(昭和43年)10月から11月にかけて、東京都、京都府、北海道、愛知県の4都道府県で発生した拳銃による連続殺人事件である。当時19歳の永山則夫が、在日アメリカ海軍・横須賀海軍施設から盗んだ拳銃で、男性4人を相次いで射殺した。一連の事件は警察庁により警察庁広域重要指定108号事件に指定された。

    永山則夫は、1969年(昭和44年)4月7日、東京都渋谷区・明治神宮北参道入口付近にて逮捕された。事件当時は19歳だったが、逮捕直後から実名報道がなされた。

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  • 1985年7月7日

    1985年7月7日

    1985年(昭和60年)7月7日、ウィンブルドン選手権男子シングルスにて、西ドイツのボリス・ベッカーが大会史上最年少の17歳7カ月で優勝。17歳の少年がノーシードから史上最年少での優勝は、大きな話題となった。

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  • 1989年7月6日

    1989年7月6日

    1989年(平成元年)7月6日、昭和の歌姫・美空ひばりが国民栄誉賞を受賞した。美空ひばりは、1989年(平成元年)6月24日、52歳の若さで死去。死因は「特発性間質性肺炎」の悪化による呼吸不全といわれている。

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  • 1990年7月5日

    1990年7月5日

    1990年(平成2年)7月5日、モスクワで開催されたチャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン部門で、諏訪内晶子(当時18歳)が第1位を獲得した。史上最年少、日本人初、審査員の満場一致という異例ずくめの第1位だった。18歳の少女は一躍時の人となった。

    チャイコフスキー国際コンクールはモスクワで開催されるクラシック音楽のコンクール。エリザベート王妃国際音楽コンクール、ショパン国際ピアノコンクールと並ぶ、世界三大コンクールの一つと言われ、世界的に最も権威のあるコンクールのひとつである。

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  • 1987年7月4日

    1987年7月4日

    自民党の竹下登幹事長が派閥「経世会(竹下派)」を発足。最大派閥田中派の大半が参加し政界の田中支配に終止符を打った。

    竹下登は、1985年(昭和60年)2月7日に「創政会」を発足し、自民党を離党しながらも派閥領袖として影響力を持ち続ける田中角栄に反旗を翻した。田中角栄の入院などもあって、追い風が竹下勢力に吹き、地盤は徐々に固まっていった。1987年5月21日に開かれた政治資金パーティー「竹下登自民党幹事長激励の夕べ」が東京プリンスホテルで開かれ、史上空前の1万3千人が参集したという。この勢いを経て、政局は経世会結成へと大きく動いた。

    竹下は、1987年(昭和62年)11月6日、第74代内閣総理大臣に就任した。1989年(平成元年)6月3日まで務めた。ふるさと創生1億円、消費税導入、昭和から平成への改元、リクルート事件による総辞職など、その時々で話題となった。

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  • 1985年7月3日

    1985年7月3日

    1985年(昭和60年)7月3日、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がアメリカで劇場公開。

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  • 1985年7月2日

    1985年7月2日

    1985年(昭和60年)7月2日、欧州宇宙機関(ESA)は、ハレー彗星の探査のため、ジオット探査機を打ち上げた。ジオット探査機は、1986年(昭和61年)3月14日、ハレー彗星の核から596キロメートルまで接近し、画像の撮影に成功した。

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  • 1979年7月1日

    1979年7月1日

    1979年(昭和54年)7月1日、ソニーが初代ウォークマン「TPS-L2」を発売した。当時の価格は33,000円。

    ウォークマンは、その名の通り歩きながら音楽を聴く、音楽を持ち運ぶというライフスタイルを生んだ、今までにない文化を世界に広げた小型カセットプレーヤーだ。2人で同時に楽しめるように、ヘッドホンジャックが2つ備えられていた。

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