1984年(昭和59年)6月15日、三菱ミラージュのCMに登場して人気となったエリマキトカゲが来日。日本各地で展示され、話題となった。
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1987年(昭和62年)6月14日、マドンナの初来日公演が大阪市中央区難波の大阪球場からスタートした。大阪球場には約2万5000人の観客が詰めかけたほか、チケットを買えなかった約3000人が場外にあふれた。球場周辺では厳戒態勢が敷かれ、なかにはマドンナを一目見ようと近隣のビルの屋上に上ったところ、警官に追われたファンもいたという。
1時間半にわたるコンサートでマドンナは、1曲目の「オープン・ユア・ハート」をはじめ最新アルバム『トゥルー・ブルー』の収録曲を中心として、大ヒット曲「ライク・ア・ヴァージン」を含む16曲を披露する。衣装も、話題を呼んだ娼婦風のレオタードなど計7回着替えて登場。会場には9つのスクリーンを配置して、さまざまな角度からステージの様子が映し出され、好評だった。
マドンナは翌15日にも大阪での2回目の公演を終えると、16日は京都にしばし寄り道して上京。東京では後楽園球場で3公演を行なう予定だったが、初日(6月20日)は強風と雨のため、開演直前になって中止となる。球場外にはすでに約2万人が集まっていたが、あきらめきれない数千人がゲートに詰めかけ、警備員や警官と押し合うなどしばらく騒ぎが続いた。21日と22日の東京公演は滞りなく実施され、マドンナのパフォーマンスは各公演で約4万1000人を魅了する。ワールドツアーの第1弾であった来日公演は総計11万人を動員、マドンナはさながら嵐のように日本を席巻して6月23日に離日した。
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1983年(昭和58年)6月13日、1979年から1982年にかけて、訓練中に訓練生の死亡・行方不明が複数発生していた一連の戸塚ヨットスクール事件で校長・戸塚弘が傷害致死容疑で逮捕。
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1987年(昭和62年)6月12日、郷ひろみと二谷友里恵の結婚式・結婚披露宴が行われた。結婚式は13:00から14:00、東京港区赤坂にある霊南坂教会で行われた。式の列席者は約150名だった。結婚式の模様はフジテレビ『3時のあなた』枠で生中継された。結婚披露宴は新高輪プリンスホテルの大宴会場「飛天の間」にて、19:00から行われた。列席者は約1000名。披露宴は、フジテレビ系列で生中継され、平均視聴率47.6%、瞬間最大視聴率58.5%を記録した。この視聴率は、芸能人結婚披露宴放送の中で歴代最高の記録となっている。
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1985年(昭和60年)6月11日、ソビエト連邦のベガ計画で用いられた宇宙探査機・ベガ1号のフライバイプローブから切り離された降下モジュールが金星に到着した。モジュールは1,500kgの重さの直径240cmの球形で、ランダーとバルーン型の探査機から構成されていた。フライバイプローブは、金星をスイングバイし、彗星の到着を待った。
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1990年(平成2年)6月10日、南米ペルーで行われた大統領選の決選投票でアルベルト・フジモリ氏が勝利。日系人初の大統領となった。熊本県出身の親を持つ日系2世で、大学教授の経歴を持つ。政治では無名だったが、地方都市で遊説を繰り返し貧困層から熱い支持を得た。
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1990年(平成2年)6月9日、「1.57ショック 」。この日、厚生省(当時)が発表した統計に世間は騒然となった。ひとりの女性が生涯に産む子どもの数の理論値(合計特殊出生率)が1989年(平成元年)は1.57に落ち込み、戦後最低を更新したのだ。「丙午(ひのえうま)」の迷信で出産を避ける人が続出し、「異常値」とみなされてきた66年の1.58を下回った衝撃は大きく、国や自治体に対策を急ぐよう求める声が高まった。
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1985年(昭和60年)6月8日、兵庫県の南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県の鳴門市鳴門町土佐泊浦(大毛島孫崎)間の鳴門海峡の最狭部を結ぶ吊橋・大鳴門橋(おおなるときょう)が開通。
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1985年(昭和60年)6月6日、川崎市で自転車に乗っていた10歳の男児がダンプカーに接触し転倒、両足を骨折する大怪我を負った。男児は、聖マリアンナ医科大学病院に救急搬送され、手術が行われようとしたが、手術に必要な輸血をエホバの証人の信者である両親が拒否。病院側は両親に対し説得を続けたが、両親の意向は変わらず、男児は約5時間後に出血多量で死亡した。
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1983年(昭和58年)6月5日、ロシア船籍のリバークルーズ客船・アレクサンドル・スヴォーロフ号がウリヤノフスク鉄道橋の橋桁に衝突した。衝突時、鉄道橋には貨物列車が通過中で、一部の車両が脱線、積荷が船に落下した。177名が死亡したとの記録もあるが、乗船名簿に記載のない乗客がいたとされており、正確な被害者の数は不明とされている。
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